2011年9月30日(金)いやらしさは美しさ@得三

この日は就業後に会社の勉強会。始まったのが五時半。一時間で終わる予定なので終わったらすぐに地下鉄に飛び乗ったらギリギリ間に合うかな。そう思っていた。でも、開始から五十分を過ぎようとしても終わりそうな気配はない。もうそわそわしてしまってそれ以降のことはあまり頭に入ってないけど一応自分のために開いてくれている勉強会なので、「何か質問はありますか?」と言われて律儀にいくつか質問したりして。時間はどんどん過ぎていく。結局終わったのは七時過ぎでした。なんか、いろいろとダメだ。なんでもっと目の前のことに集中できないんだろう?教えてくれている人にも失礼だ。結局勉強会とライブ、どちらも中途半端になってしまった。

早川義夫+佐久間正英

「第一部」
(途中から)
恥ずかしい僕の人生
この世で一番キレイなもの


自分のダメさを反芻しながら得三へ。扉に手を掛けると、いつもよりもずいぶんと重く感じる。なんの曲だろう?ちょうど佐久間さんがギターソロのパートを演奏されているところでした。まるで自分の気持ちを見透かされたような、胸に迫ってくる音。そしてそこに飛びこんでくる早川さんの歌声。「恥ずかしい僕の人生」。動悸が高鳴っていく。会社から駅、駅から得三までを思いっきり走ってきたからだけじゃないと思う。早川さんの歌声は劇的だ。ほんとに頭に、胸に、直接飛びこんでくる。あらためて、今日の自分のことが恥ずかしくなりました。早川さんは、目の前の歌にすべてを捧げている。真っ赤なシャツがまぶしかった。
無我夢中で得三まで来たので状況がよくわかってなかったけど、どうやら次の曲で第一部は終了の様子。「この世で一番キレイなもの」はなんてキレイな曲なんだろう。いろいろあったけど、今日ここに来てよかった。心からそう思いました。スカスカになっていた心の中まで全部浸されて、残された時間は早川さんの歌と真剣に向き合おう、そんな気持になった。早川さん歌の前では、それでいいのかという疑問はさておくしかない。


「第二部」
佐久間正英ギターソロ
1. マリアンヌ
2. 黒の舟歌
3. 父さんへの手紙
4. I LOVE HONZI
5. 批評家は何を生み出しているのでしょうか
6. 音楽
7. 身体と歌だけの関係(Hi Posi)
8. からっぽの世界
9. いつか


Encore
10. お前はひな菊
11. H


第二部は佐久間さんのギターソロからスタート。郷愁的なメロディのループを作り、そこに情緒あるギターを重ねていく。エフェクターを通した清涼感のある音、雲が流れていく。曲の淡々とした語り口からは車窓からの風景も連想させる。ギター一本でここまで表現できるってすごいな。佐久間さんは一日一曲、「おやすみ音楽」と称して作曲したものをネット上にアップしているそうです。この曲も「おやすみ音楽」としてアップするつもりが、録音するのを忘れていたとのこと。牧歌的で、ほんとにいい曲だったのですごく惜しい。もう一度聴いてみたかったです。
早川さんも加わり、一曲目は「マリアンヌ」。ジャックスの曲はどうしてもジャックスの呪縛から逃れられない。それは水橋春夫の不安定なギターや木田高介の不穏なドラムなど、演奏面によるものも大きいのかもしれない。そんな風に思っていた。でもこの演奏を聴いて、そんな気持ちは一掃されてしまいました。佐久間さんの地に足の付いたギターは十分にそれを払拭してくれるものだったし、なにより、早川さんには今の歌がある。早川さんの歌には今がある。同じ歌でも、今歌うということは当事の歌とはもうちがう。この前のライブでもジャックスの曲は聴いていたのだけど、その時は山本さんやJOJOさんといっしょだったのでそんなことを考える余裕がなかったのです。いつでも最前線の早川さんを聴きたい。そんな気持ちになりました。
二曲目は「黒の舟歌」という初めて聴く曲。古い曲で、長谷川きよし桑田佳祐が歌っていたことで有名な曲のようです。「男と女の間には暗くて深い川がある」という歌い出しが象徴するように、ドロドロとした関係の中を漕いでいくような情念の歌でした。やはり男の視点の歌であるというところが早川さんらしい。この選曲は、早川さんの新著とこのライブのタイトルにもなっている『いやらしさは美しさ』が示すとおり、男と女の関係、もっと言えば性、セックスに準じたものだったように思います。そしてそれは以降も、ライブを通して痛感していくことになるのです。
この前の9月28日はHONZIの命日でした。残念ながら、早川さんとHONZIの共演は観たことがありません。でも、「I LOVE HONZI」を聴いていると早川さんとHONZIの間にあったなにかに、かすかながら触れさせてもらったような気持ちになります。「そこにHONZIが居たような気がした」、なんて感傷的なことを言う気はないんです。ただ早川さんの歌と佐久間さんのギターが鏡のようになって、かつてそこにあったであろう蜜な時間の空気が映し出されていたように感じました。早川さんとHONZIはプライベートではほとんど関わりがなかったそうです。ですが、「ステージ上では恋人みたい」と早川さんが歌うように、そこにはたしかなコミュニケーションがあったのだと思います。人となにかを交感するということ。それはセックスにも似たものなんだろうか。早川さんの歌や言葉に触れていると、どうしてもそのテーマに突き当たる。「音楽」「身体と歌だけの関係」とステージが進んでいく内、その疑問と答えはどんどん大きな渦となってぐるぐると回っていく。
本編の最後は「いつか」。鍵盤を叩く早川さんの身体が揺れる。生きていくということは足掻いていくということ。生きていくということには様々な問題がつきまとうけど、自分という個人ができることにはそう大した差なんてない。答えなんてない。ただやれることをやるだけなんだな。それは確固たる気持ちともなにかとの葛藤とも取れて、だからこそ信用できる「歌」だなと思いました。
アンコールの拍手を叩いてる間、聴きたい曲を思い浮かべてみる。先の「いつか」を聴いて、なんとなく吹っ切れたような気分になったからかな。「僕らはひとり」や「グッバイ」が聴きたい。でも、もしかしたら間に合わなかった前半でやったかも。そんなことを考えていると間もなく、早川さんが出てきてくれました。真っ赤なシャツを脱ぎ捨てたその下は、白地に赤い文字の「よしお」Tシャツ(笑)。そんなおちゃめな格好で歌い出したのは、「お前はひな菊」。早川さんは本編以上に身体を揺らす。佐久間さんも立ち上がってギターを弾いている。まいったな。やられてしまったな。「俺はお前と寝たいだけ」、結局、行きつくところはそこなんだ。別にいやらしい話じゃない。『いやらしさは美しさ』にも「したいってことは愛だもの」という言葉があって、その前後のくだりには深くうなずいてしまったのでした。でも、それはあくまで男の美学。佐久間さんが言うには、女の人には理由がいるということです。男と女ではこうもちがう。その間には暗くて深い川がある。わかっているつもりでも、自分の身体を通すと黒い雲がかかってしまう。省みてみれば、ひどく汚らわしい。
早川さんの歌が美しいのは、嘘がないからだ。見た目じゃない。誇張や打算がない。泥臭くても、いやらしくても、偽りがないから美しい。そんな早川さんの歌がたまらなく大好きです。やはり、「H」は永遠のテーマだなと思う。でも、早川さんの歌になにかを求めるのはないものねだりだ。「美とは、それを観た者の発見である」という。それならば、やはり自分の中に自分の歌を見つけなければならない。