2012年12月2日(日)「やんてらのやぶれかぶれVol.3」穂高亜希子+熊坂るつこ@入谷なってるハウス

熊坂るつこ

1. 小さな空(武満徹 cover)
2. 空中散歩
3. 久高島
4. 声
5. 悲しみ
6. 君がいない(早川義夫 cover)


穂高亜希子+熊坂るつこ」という表記だったので穂高さんメインでやるものだと思っていたのだけど、今夜は二部制で、第一部は熊坂さんのソロ。しかも穂高さんがサポートを務める。その旨熊坂さんからアナウンスがあり、続けて、なんと一曲目から「わたしが歌わせていただきます」と。曲は武満徹作品の「小さな空」。熊坂さんの少し鼻にかかった歌声、アコーディオンのあの鮮烈な演奏からすると一瞬拍子抜けしてしまいそうですが、すごくよかったです。すごく素直な歌声。子どもが歌っているみたい、と思ったのは曲のせいもあるのかな。“子どもの頃”というのは、大人になった今だからこそ振り返ることができる。いい曲だな、ほんとに。そう思えるライブのスタート。
二曲目は「空中散歩」。お兄さんの熊坂義人さんとのユニット、ケチャップの曲です。この曲では穂高さんのピアノとの掛け合いがおもしろかった。まるで目の前で熊坂さんと穂高さんが腕を組んでみたり、ひょいと片足を上げてみせたりしているようで。次の「久高島」という曲の前にもお二人のプライベートや共通する部分のお話をされていて、こんなお二人だからこその演奏だったのだなと思い返す。「久高島」は沖縄にある島だそうで、この曲はその島でのスピリチュアルな体験を元にできた曲とのことです。熊坂さんは「曲というか…」と言葉を濁していたのだけど、ほんとになんというのでしょうか。アコーディオンの蛇腹の部分を紙でこすったり、本体を叩いたり、本来のとはちがった方法で音を鳴らす。鍵盤からの音も個もさらけ出すようないつもの音とは少しちがう。岬をかすめた風が岩肌を登っていくような、ハッと気付くと頭の上には煌々と輝く満月が昇っているような。めまぐるしく視点と場面が変わっていく不思議な体験。相対する穂高さんのピアノは草であり、花であり、時には空から降ってくる言葉のようでもあり。なにかをトレースするような、という意味では即興ともまたちがう、どこか遠くへ遠くへとトランスするような演奏でした。
「声」という曲にはあなたの声が聴きたいという意味が含まれていると熊坂さんは言います。自分の恋愛ではなく、人の恋愛の話を受けて作ったのだそう。熊坂さんは全身を使って、振り絞るようにしてアコーディオンを鳴らす。それは決してパフォーマンスなんかではなくて、すべてをさらけ出しながらでしか表現のできない人なのだと思います。人の恋愛の話、とは言うものの、きっとそこには熊坂さんの想いも多分に含まれている。そんな風に思わざるを得ないような圧倒的な演奏でした。全身全霊でもってぶつかってくる音。全身で浴びて、染み渡ってくる想い。そして自分の中に湧き上がってくる感情。あまりに激しいものは、時に鏡のようだなと思いました。
「悲しみ」は、穂高さんと熊坂さんを語るにはきっかけとしても結果としても接点と言える曲。今年の四月、お二人の初共演の時に熊坂さんのこの曲に穂高さんが詞を付けた。そして同じやんてらさんの企画である今夜、その「悲しみ」が演奏される。かと思いきや、そこまで話しておいて、その「悲しみ」は二部にまわしますと熊坂さん。思わずずっこけそうになりました(笑)。気を取り直して、ここではオリジナルであるインストゥルメンタルでの演奏。さっきまでの談笑も束の間、一瞬で空気が変わる。熊坂さんはすごい。共演者も観客もぐいぐい引っぱって、引き込んでいく。目が離せなくなる。渦を巻くような求心力と魅力を持った人だと思う。
最後は早川義夫さんの作った曲に熊坂さんが詞を付けた「君がいない」を熊坂さん本人が歌います。昔飼っていた猫のことを歌う、とてもせつない曲。でも、熊坂さんの歌には“君”との思い出と“君”に対するやさしい気持ちであふれていました。とても穏やかなまなざし。共作の曲だから、人と人の間にできた曲だから、思いやりに満ちているのかな。早川さんのやさしい笑顔が目に浮かぶよう。それはもちろん早川さんが作った曲だからですが、大事なのはそこには人がいるということだと思います。

穂高亜希子

1. 緑
2. 恋をした男の子
3. 風
4. こころ
5. 静かな空
6. きこえるよ
7. 城
8. 悲しみ(熊坂るつこ cover)
9. 春の雪


Encore
10. ひかるゆめ
11. いつか


第二部は穂高さんのソロに熊坂さんの伴奏です。明かりが落ちてスタートするも、演奏前のギターのチューニングがなかなかうまくいかず、焦りを見せる穂高さん。後ろで見守るけろよんもどこか不安そう。かくいう自分も、この日はこの後深夜の高速バスで帰らなくてはいけなくて、バスの時間のことを考えると最後まで観られないかもしれないという不安をどこかで抱いてました。こういう気持ちは伝染するのかな。会場のどことなく重たい空気を引きずったまま、「緑」。なんでだろう。穂高さんにとってこの曲はすごく大事な曲なんだろうという気がずっとしている。やはりチューニングがうまくいってないのか少し納得のいかない様子ではありましたが、それでも熊坂さんのアコーディオンが鳴った瞬間、ふっと緊張が和らいだような感じがしました。穂高さんがどう感じたのかはわかりませんが、曲が報われたような気がしたんです。ひとりで歌ったり、いろんな人との演奏を交えたりしながら、この曲は少しずつ前に進んで行くんだと思います。
二曲目は「恋をした男の子」という初めて聴く曲。“君といると生きている気がするよ”“君といると息をしている気がするよ”“君といると…”。こんな気持ちはずっと前にどこかに置いてきてしまった。いやもしかしたらまだ知らないのかもしれない。歌の中の男の子の気持ちを想像してみる。やっぱり今はよくわからない。なので、いつかこんな気持ちになった時、この歌を思い出したりするのかなと思いながら聴いてました。「風」ではギターの弦を押さえる穂高さんの左手をただぼんやりと眺めてしまった。やっぱりなにか引っかかっていたのかな。
「こころ」からはピアノでの演奏。穂高さんのピアノにはいつもハッとさせられる。音を重ねるたびに感情が染み出てくるような音色だと思う。対する熊坂さんのアコーディオンはほんとにそうとしか言えないのですが感情をさらけ出すような音色で、穂高さんの荒ぶる部分を引っぱり出したり、時には大きく包み込んだりしていました。お互いの心を確かめ合うような演奏が結果、自らを丸裸にしていくようで、グッと引き込まれた。「こころ」も「静かな空」も自分の胸の中を投影する曲。穂高さんが「心の中の落ち着いた部分も狂った部分も全部出すような演奏をお願いしました」と言っていたけど、まさに、と感嘆してしまいました。一転して、「きこえるよ」は相手の胸の中を追い求めるような曲。見えないからこそ手を伸ばす。それが思いやりであり、ひいては自分をも救うことになるんだと思います。穂高さんの、そして穂高さんを支える熊坂さんのやさしさが身に染みていく。
「城」は、嫌が応にも“その前”と“その後”を想像してしまう曲だ。荒廃した廃墟に流れる歌。でも、だからこそ、目を背けてはいけない。「城」の後に演奏された「悲しみ」を聴いてより強くそう思いました。そう、ここで「悲しみ」。オリジナルは熊坂さんですが、ここでは穂高さんの歌に熊坂さんが伴奏をつける形。穂高さんはなにも楽器を持たず、時折目をつぶりながら、噛み締めるようにして歌っていました。穂高さんの付けた「悲しみ」の詞は、「水」が元になっているのではないかと思う。ただあふれていく悲しみをいつかよろこびに変えていく。忘れるわけじゃなくて、無理に言い聞かせるのでもなくて、ただ自然に。流れていくようにあふれていくように。変わっていけたらいい。そして、「春の雪」はそんな「悲しみ」から生まれた曲だと思う。どうしようもない気持ちを散りゆく花びらに託す。桜の花を雪にたとえるのは、溶けて消えてしまっても胸に残る気持ちを大切にしたかったからではないのかな。花は毎年咲いては散っていく。季節は巡っていく。それでも忘れてはいけないこと。切り替えていかなくてはいけないこと。穂高さんは胸に秘めるだけじゃなくて、歌いたかったのだと思います。熊坂さんのアコーディオン穂高さんを包む桜吹雪のようにきれいに舞っていた。ふたりで声をそろえて歌う、後奏でのコーラスが雪のように降り積もっていった。
穂高さんの歌は、伝わる歌だ。きっとその証としての大きな歓声と拍手。アンコール。「あと二曲歌わせていただきます」とピアノの前にそっと座って穂高さんが歌い出したのは「ひかるゆめ」。この曲はアルバム『ひかるゆめ』が完成した後にできた曲だそうです。それは『ひかるゆめ』に対するひとつの折り合いだったのだと思う。そしてその折り合いは「悲しみ」に詞を付けることで、「春の雪」を歌うことで、より確かなものになっているような気がします。このライブを通してずっと感じていたこと。穂高さんの歌、少しトーンが変わった。なにか吹っ切れたような明るさを感じるんです。たとえば「いつか」という曲は元々歓喜の歌のような美しさのある曲だったけど、どこかグッと拳を握りしめてでも体を前に向けるような力強さも秘めていたように思う。それは『ひかるゆめ』での吉田悠樹さんと服部将典さんとの後奏に強く表れている。でも、この日に歌われた「いつか」はとても穏やかだったんです。それは見せかけじゃない、一本芯の通ったような強さからくるものだ思う。自分に対しての、またある時は外に向けての歓喜(喚起)の歌であったものが、本当のよろこびを歌う賛美歌へと昇華していく様を目の当たりにしているようで、いろんな感情があふれて泣けてきた。あふれた涙のあたたかさをがまたうれしかった。この日の「ひかるゆめ」のピアノを、そして熊坂さんと演奏した「いつか」を、僕は一生忘れないと思います。


バスの時間の関係で終演後ゆっくりできなかったのが残念だったけど、最後にけろよんに挨拶できてよかったです。けろよんは穂高さんが長年大切にしているかえるのぬいぐるみ。なぜか熊坂さんがずっとぴょんきちとかんちがいしたままだったのがおもしろかった。余談ですが、穂高さんの飼っている猫のでぶちんはけろよんを自分より上の存在だと思っているみたいで、たびたびけろよんの身体を毛づくろいしているらしいです。けろよんもでぶちんもかわいい。


穂高さんにも、はじめに歌があった。その歌をもってアルバム『ひかるゆめ』を作る途中、震災が起きて、また歌ができた。その歌は、穂高さんの歌を大きく変えてしまったのかもしれない。でも季節は巡る。また新しい歌ができる。あきらめることで、折り合いをつけていくことで少しずつ前に進んで行く。なにかに揺り動かされて歌ができて、できた歌にまた揺り動かされて、そうして少しずつ前に進んで行く。穂高さんの歌からはその確かな一歩一歩を感じます。だから、また穂高さんの歌を聴きたい。聴きに行きたい。これからも聴いていたい。そう思うんです。