2月26日(火)山本精一カバー・アルバム第一集 発売記念ライブ@得三

得三に入ってすぐに違和感。セッティングがすごく遠い。椅子はステージ後方の壁にべったりと寄せられ、それを取り囲むようにアンプ二台とモニター二台。足元には蔦のようにエフェクターと配線が生い茂っていた。まだ主のいないそのセッティングは、まるで「何人たりとも立ち入るな」と無言で発しているかのようでした。開場も開演も押し、撮影も録音も禁止とアナウンスがあった。SEとして流れるフォークソングが異様な音楽に聴こえる。

山本精一

【第一部】
1. オーブル街(ザ・フォーククルセダーズ cover)
2. 時計をとめて(ジャックス cover)
3. Turn Turn Turn(Pete Seeger cover*
4. Circle Game (Joni Mitchell cover)*
5. 砂に消えた涙(弘田三枝子 cover*
6. 不在の君(Genesis cover*
7. 失業手当(高田渡 cover)
8. キネマ館に雨が降る(あがた森魚 cover)
9. そして船は行くだろう (あがた森魚/岡田徹 cover)
10. Ramblin’ Boy (Tom Paxton/高石友也/岡林信康 cover)*


アコースティックギター


【第二部】
1. ぼくの倖せ(はちみつぱい cover)
2. 春を待つ少女(高石ともや cover)
3. ざんげの値打ちもない(北原ミレイ cover)
4. 八月の濡れた砂石川セリ cover)
5. 君をのせて(沢田研二 cover)
6. Don't Cry No Tears(Neil Young cover)
7. 26ばんめの秋(岡林信康 cover)
8. 空に星があるように(荒木一郎 cover)
9. からっぽの世界(ジャックス cover)


encore
10. 男はつらいよ渥美清 cover)
11. Candy Says(Velvet Underground cover)
12. 私に人生と言えるものがあるなら(高石ともや cover)
13. 冬のサナトリウムあがた森魚 cover)
14. サルビアの花(早川義夫 cover)


15. この素晴らしい愛をもう一度(加藤和彦 cover)
16. ロビンソン(スピッツ cover)


20分ほど押して現れた山本さんは一言「始めます」とだけ言ってスタート。「オーブル街」でのオープニングはPhew『Five Finger Discount』を思わせるも、その趣はずいぶんちがう。でも、同じ灰色の世界だ。山本さん、また痩せたかな?下からの薄暗い照明のせいか、うっすら髭が生えているようにも見える。
「時計をとめて」「Turn Turn Turn」「Circle Game」、これは祈りの選曲だと思う。出自も意味合いもまるでちがう曲だけど、こうして並べてみると、というか山本さんが歌うと不思議な説得力がある。カバーでもどこか山本さんのパーソナルな部分がにじみ出てくるようで、『山本精一カバー・アルバム第一集』の選曲にも見えてくるものがあるような気がしました。なんて思うのも束の間、「B1のシャケ」。かと思いきや、「砂に消えた涙」。「砂に消えた涙」として聴いたのは初めてかもしれません。山本さんは淡々と歌う。この曲に限らず、このライブの間は少しうつむいて、たまに譜面を確認する以外は目をつぶっているように見えた。MCもほとんどない。次々に、ただ淡々と歌われていく曲に、なんでこんなにも想いを寄せてしまうのだろう。「B1のシャケ」の原曲にあたる「砂に消えた涙」とは反対に、次の「不在の君」はジェネシスの「For Absent Friends」に山本さんが日本語詞を付けたもの。この詞がまたすごくよくて、これは「砂に消えた涙」のようなポップな歌謡曲路線の後にこそ映えるなと思いました。余談ですがこの曲は会場で売っていた『More 7 Songs』という『山本精一カバー・アルバム第一集』の増補版のようなCD-Rに収録されていて、そこには“異詞:山本精一”と記載されています。ということは「B1のシャケ」も異詞にあたるのかな。
「Turn Turn Turn」からここまでの4曲はアコースティックギターでの演奏。再びいつもの黒いストラトに持ち替えて、高田渡の「失業手当」。この曲はアルバムでも一番異色な曲で、というのも、誰が歌っても高田渡になってしまう高田渡の曲が、まったく高田渡じゃない。これは初めての体験でした。普段からわけがわからない、底がまったく見えない山本さんですが、この曲での山本さんは本当に何者でもない気がして、背筋が凍る。加えて、ライブでは重いギターの音色がさらに視界をにぶらせる。周囲の空気が特殊な磁場を持って沈んでいくような感覚でした。ついさっきまでの、自分の視覚や触覚さえも信じられなくなるようなこの違和感。そんなところに、あがた森魚の「キネマ館に雨が降る」。歌詞からして決して恵みの雨ではないのですが、皮肉にもこの雨が違和感を溶かしていくようで、染み渡りました。
遅い開演のライブでしたが二部制のようで、次が一部の最後の曲とのこと。「そして船は行くだろう」はあがた森魚岡田徹の共作曲で、70年代前後の選曲が中心のこのアルバムの中では比較的新しい曲なのだけど、やはり山本さんのレパートリーに組み込まれると違和感がない。違和感、という言葉はさっきも使った。でもよくよく考えると、山本さんの前で違和感という言葉は意味を持たない気がしてくる。違和感とはなにかちがうと感じる感覚だ。でも山本さんにはそのなにかの基準になるものがない。おぼろげでも境界線を引いてこその違和感なのに、その線を引くペンがない。ある意味では違和感そのものとも言えるかもしれません。そんな中にも、確かに感じ取れるなにかがある。山本精一という人物にどうしようもなく惹かれてしまう所以はそういう得体の知れなさだと思う。というところに、もう1曲ありましたと「Ramblin' Boy」。やはり一筋縄ではいかない。


第二部は「ぼくの倖せ」「春を待つ少女」としょっぱなから多幸感あふれる展開。そしてそれを叩き落すかのような「ざんげの値打ちもない」。さすが山本さん、やることが容赦ない。こうしてなにも考えずに、素直に受け取ればいいのかもしれない。たとえば一部の「失業手当」にしても、なにも考えなければめちゃくちゃかっこいいヘヴィブルースだった。でもなにが素直でなにがひねくれた受け取り方なのか、よくわからなくなるから山本さんのライブはおもしろい。
八月の濡れた砂」。特に情感を込めた歌い方というわけでもないのに情景が浮かんでくるのは、石川セリの原曲がそうであるように歌詞そのものの持つ力が大きい。しかしこの山本さんの歌声はどうだろう。普通とかなにもないということこそおそろしく思えてくる。そもそも、こんなにも淡々と歌い続けることができるのがすごい。人除けをするように、後方にべったりと寄せられたセッティングをあらためて見渡す。あの中で、あの歌の中で、山本さんはなにを考えているのだろうか。からっぽに見えるけど、からっぽのわけがない。そういうところにあるはずのない情景を見てしまうのかもしれません。「君をのせて」は初めて聴く曲でしたが沢田研二の曲だそうです。“海”つながりということもあってか、すごく自然な流れ。そしてこの曲がまたすごくいい。開放感に満ちた歌詞なのにどこかさびしげな感じがしてしまうのは山本さんが歌うからかな。「Don’t Cry No Tears」はこの日、唯一感情らしい感情の乗った歌だったように思います。先の「君をのせて」にも思うところはあったのだけど、この曲では目を固く閉じるようにして歌い上げていて、見た目にも迫るものがありました。声を裏返らせて歌う山本さんにグッときてしまった。ニール・ヤングの原曲もすごく好きだけど、この日の「Don’t Cry No Tears」は忘れないと思う。
一呼吸置いて「26ばんめの秋」。この曲は2008年に初めて山本さんのソロのライブを観た時に歌っていて、ライブの後すぐにこの曲が収録されている岡林信康『金色のライオン』を買ったことを思い出す。ちょうど26歳の秋でした。山本さんのカバーを聴くのはその時以来だったのでなんとも感慨深かったです。ここまでMCはほとんどなく、曲名とカバー元だけをポツリポツリとつぶやいてきた山本さんですが、歌い終わった後に「この曲は非常にやりにくい」と漏らしていました。というのも、「僕の声はすごく岡林さんに似てるんですね」「特に高音がすごく似てる」だそうで、たしかにそうかもとも思うし、そうかな?とも思う。いずれにせよ、山本さんの歌は山本さんでしかない。
荒木一郎の「空に星があるように」からジャックスの「からっぽの世界」へ。急に空が暗くなるような展開。どこからか不穏な空気が流れ出して、重く身体にまとわりつく。気付けば四肢の自由を奪われているようなすごい演奏でした。鈍いきらめきを見せる水橋春夫のギターとはまるで別物の、ファズの嵐吹き荒れる轟音ギター。あのセッティングはこのためのもだったんじゃないかというくらい、何者も寄せつけぬからっぽの世界。時間の感覚まで奪われて、終わってみればあっという間のことだったようにも思えてくる。なにかまずいものでも見てしまったような、複雑な気分になってしまった。圧巻としか言いようがない。


アンコールではうってかわって軽快なギター。なんと寅さんの「男はつらいよ」でした。ようやく山本さんの渥美清を聴くことができてうれしい。まわりからもちらちらと笑い声が漏れてきて、一気に空気が緩む。あの「からっぽの世界」の後だっただけに、こういうところはサービス精神旺盛な山本さんらしいなと思いました。しかし本当にいい歌だなとあらためて。でも山本さんが名乗りを上げるのは想像できないな。おなじみの「Candy Says」はこれもおなじみの山本さん本人によるコーラス付きで、おぼろげな山本さんの歌が場をさらになごませます。ナターシャセブンの「私に人生と言えるものがあるなら」にいたってはもう陽だまりの中に晒されたかのような気分でした。
山本さんは「本編はさっきの(からっぽの世界)で終わりなのでここからは曲順とか関係なしにやります」と言っていて、もはやアンコールではなくて第三部のような趣。譜面は30曲ほど用意してきたらしく、その譜面をパラパラと確認しながら次の歌を探していく。中から選ばれたのは「冬のサナトリウム」。原曲より少し高めのキーで歌われていました。前に聴いた時はどうだっただろう。そういえば山本さんのライブで初めてこの曲を聴いた時はまだタンゴのあがた森魚にしか興味を持っていなくて、フォークにはまだどこかダサいイメージを持っていました。岡林信康あがた森魚、それからフォーク以外でも、山本さんをきっかけにして好きになった音楽は山のようにある。そんな風に感慨にふけっていると、間髪入れずに「サルビアの花」。なんと幸福な時間。山本さんは曲順は関係ないと言っていたけれど、これはあがた森魚はちみつぱいをバックにライブをやっていた頃のオマージュじゃないのかな。もちろん想像でしかないですが、稀に垣間見ることができる山本さんのそういう部分にまた惹かれてしまう。素晴らしいメドレーでした。


会場にも明かりが点き、各々談笑したり帰り支度をしているところに山本さんが駆け足気味に戻ってきました。なにか告知かなと思いきや、なんと1曲やり忘れました、と。もう10時もまわっていたというのにこの大サービス。開演前に、名古屋のライブは東京や大阪より長くやった試しがないとボヤいていたのが申し訳ない気持ちになってしまった。曲は「あの素晴らしい愛をもう一度」。透き通ったギターの音色がリヴァーブで夕日みたいににじんでいって、すごくきれいだった。
余韻に浸る暇もなく、なんとさらにもう1曲。できるかなと手を焼きながらもやってくれたのは、まさかの「ロビンソン」。カバーとはいえ、羅針盤のレパートリーはまったく頭になかった。弾き語りなのにすごくバンド感のある演奏。徐々に羅針盤の封印を解いていっている山本さんですが、さすがにこれは胸が熱くなりました。あらためて思ったのは、歌詞が意外と山本さんっぽいということ。そうでなくとも、山本さんの歌声を聴いていると知らず知らずの内に山本さんの歌として受け入れてしまう。引き込まれてしまう。というより、はじめから取り込まれてるような、そんな歌声。あの歌声の芯に触れたくて、深遠に迫りたくて、これからも山本さんのライブに足を運ぶんだと思います。
いつかこの日やらなかった「We Shall Overcome」を聴きたい。



山本さんはこれからもカバーのアルバムを作っていくということ、なんでそういうことをするかというと、ただ好きなだけだということを話されていました。「ロビンソン」の前には名古屋でやるのは初めてかもしないこと、でもそれは別になんの意味もないということを話していた。こういう発言を聞いていると、山本さんそのもののように思える山本さんの歌も、山本さんを構成するほんの一要素でしかないのかもしれないと思えてくる。ほんとに得体の知れない人だ。