2012年4月4日(水)陸の飛魚 湯浅湾、春のツアー 2012@得三

湯浅湾

第一部
1. シェーの果て
2. 猿に似たおばさん
3. 煙粉
4. 粉化
5. ゆらたま
6. 歯のはえたケツの穴
7. 豚は悪くない
8. 亀と俺と
9. おぼえたてのあいうえお


第二部
1. あの人は何?
2. 俺の心に豚がいる
3. なりそこないの幽霊
4. ただの犬
5. 反対の反対
6. 柔らかい太陽
7. ミミズ


Encore
8. 気配と木霊
9. 色は何色


歌詞なんていうものは気配だけでいいと思っている。今までわけのわからない言葉でも知らない言語でも、幾度となく歌には心動かされてきた。歌詞の意味に関係なく、歌に意思が乗ることだってある。大事なのは歌だ。そこにどんな歌があるか。そこだけに興味がある。かといって、声を発して歌う以上、歌詞が歌にまったく無関係ないわけでもない。矛盾するようだけど、言葉の選択は重要だ。(聴き手にとって)理解できる言語ならなおさらのこと。湯浅さんの選ぶ言葉は一見取りとめもない。ただ降りてきたものを拾っているだけのようにも思える。でも歌を通して聴くと、そこには物語がある。それは生で湯浅さんの歌を聴いてより強く実感したこと。もしかしたら、それが「音楽を迎えに行く」ということなのかもしれないなと思いました。歌を歌うということも、歌を聴きに行くということも。アンコールでは、「気配と木霊」。言葉の綾みたいなものだけど「あ、これは気配だ」と思った。そしてその気配に続くラストは、「色は何色」。この自問自答を含む問いかけこそが、湯浅湾の「歌」そのものなのではないかと思うのです。
一方で、湯浅湾のライブでは湯浅さんの歌の横で進行していくもうひとつの物語がある。牧野さんのギターは湯浅さんの紡ぐ物語を俯瞰するような視点を持ちながら、時にひとり語り出すような時がある。哀愁があって、愛嬌があって、機知にとんだ音。牧野さんのギターには背景にブルースがあるんだと思う。ブルースは、物語だ。とあるMCで湯浅さんがしゃべっている時、牧野さんは自身のバンド、NRQの「ノー・マンズ・ランド/アイ・ワズ・セッド」のフレーズを弾いていた。それは湯浅湾というバンドの中にあって、自分の音を確認する儀式のようにも見えました。その後に演奏された「ゆらたま」がまさにそんな演奏だったこともとても印象深い。他の誰のものでもない、牧野琢磨の音。余談ですが、ライブが始まる前から牧野さんのギターにお守りのようなものが付いているのが見えていろいろと想像してしまった。当たり前のことだけど、誰にだって自分の生活と人生がある。だからこそバンドにはいろいろあるし、だからこそ、バンドというものはおもしろい。
湯浅湾はやっぱりザ・バンドだな、と思う。いろんな意味でね。ディランだったりデッドだったりラリーズだったりもするけど、一番はザ・バンド。いやあ、最高のザ・バンドだよ。ほんとに。こんなバンドは他にない。


正直、湯浅湾は「めちゃくちゃ感動した!」とか、そういうバンドではないです。もちろんバンド自体は最高にかっこいい。でもきっと多くの人にとって「これはなんだろう?」という気持ちが胸に残ると思う。そしてその「これはなんだろう?」は人それぞれに様々な色や形になることと思います。その答えを探していく内、いつのまにかあのもっさりとした湯浅さんの歌を、どーんとした湯浅さんのギターを、聴きたくなってくるんです。湯浅さんは決してかっこつけない。あんなにかっこいいバンドのどまん中でかっこつけない湯浅さんは、やっぱり最高にかっこいいんです。