『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』

カヨちゃんにはジュンが必要だった。ジュンにはケンタが必要だった。ではケンタに必要なのはなんだったんだろう?ベニヤの板に囲まれながら、毎日のようにコンクリートと対峙しながら、ケンタが望んだものはなんだったんだろう?エンディングの、阿部芙蓉美さんが歌う「私たちの望むものは」がずっとリフレインしている。


ケンタについて。
工事現場でひたすら壁を壊す毎日。低賃金の上に、下手をすれば障害を抱えてしまうリスクを背負う劣悪な労働環境。そして理不尽な要求をしてくる職場の先輩。施設で育ったケンタとジュンには親もいなければ帰る家庭もない。手の触れるところには、いつも壁がある。壁があるから壊す。壊しても壊しても壁は続く。八方塞がり。どうやったらこの生活が終わるんだろう?そのためには、やはり壊すことしかできなかった。ある日、自分の生活をも壊して手に入れた束の間の自由。「これからどうする?」と問われてとりあえず思いついたのは、網走に行くことだった。
地の果てとはいえ、網走には服役中の兄がいる。海を見ながら「外国ってほんとにあるのかな?」「遠すぎるから見えないんだよ」という会話。道中で行き会う奇妙な人間関係。ガス欠になった山中で、荷台に積んであったバイクのことがすっぽり抜けていたケンタ。これまでの閉じられた生活のせいだろうか。かりそめの自由を手に入れても、結局は手の届く範囲にしか想像が及ばなかった。
選択肢がほしかったわけじゃない。帰る場所がほしかったわけでもない。ただ誰かに自分の存在を認めてほしかった。最後の最後で、ジュンはその誰かという存在になれたんだろうか。


ご都合主義だなと思うところもある。でもそういう展開が行き場のない、選択肢のない未来を象徴してたように思う。また、この映画には音楽が二つしか使われていない。しかも同じ曲のバージョン違い。要所要所で流れるその曲は、映画全体にのしかかる重たい空気にずっとついてまわる。
この映画はどんな結末なのか?想像もしてなかったけど、どこかで確信のようなものがあったかのもしれない。と後になって思う。