2011年9月1日(木)「TOKUZO 13th Birthday」project FUKUSHIMA@得三

入場して席を確保。ついでに取り置きしていた22日のパスカルズのチケットを引き換える。物販をのぞくとアンサンブルズ展のDVDと胡桃の部屋のサントラが置いてあった。アンサンブルズ展のDVDは一般のお店やネットショップには出回ってないため、ちょっと迷ったけど保留。胡桃の部屋のサントラは、なんとなくスキマアワーの時に買うと決めていたので買わないでおくことにした。DVDを買うか迷ったのは実際にアンサンブルズ展を体験してないからです。DVDという媒体でその片鱗だけでも体験するのか、未体験のままにしておくのか、迷った。いずれにせよ、同じ展示はもう二度とない。


遠藤ミチロウ

遠藤ミチロウのことはあまり知らない。スターリンの人だとか今年で還暦の人だとか、そういうプロフィール的なことしか知りません。これといった理由があったわけではないけど、なんとなく敬遠してきた。もしかしたら直に触れるのがこわかったのかもしれません。そう、今夜は大友さん目当てで来たのです。もちろん、第一にはプロジェクトFUKUSHIMA!に少しでも触れておきたいという気持ちがあったのだけど、ライブを観たかったのは大友さん。二年ほど前に大友さんの人柄と音楽を好きになり、数ヶ月前にミチロウさんが大友さんに声をかけ、少しずつミチロウさんの足音が近づいてきた。
ライブの後に大友さんとミチロウさんによるトークがある旨、舞台袖の女の人から説明され、その女の人の呼び込みでミチロウさんがステージに現れた。想像していたよりもずっと小さく見える。でもギターを抱え、右手が振り下ろされ、ミチロウさんの口から声が発せられた瞬間、「ああ、この人はめちゃくちゃかっこいい人だ」ということを体で理解した気がします。それまで知っていたプロフィールなんて本当にどうでもいいことだった。これが歌なのか語りなのか叫びなのか、そういうこともどうでもいいことだった。口からだけじゃない。体全体から発せられる魂の咆哮だ。これっぽっちも他者に依存しない、ミチロウんさん自身の言葉。そのひとつひとつがギターと共に胸に突き刺さってくる。そうか、これが遠藤ミチロウなんだ。
一曲目を終えた時点ですでにミチロウさんは息を切らしていた。それでもミチロウさんの勢いが衰えを見せる気配は微塵もない。少しずつ近づいてきたかに思えた足音は、体中を蹂躙して駆け抜けていった。その後には、小さく見えたミチロウさんの姿はもうなかった。

大友良英

今夜の大友さんのセットはギター、スネア、バスドラム。どんなことをやるんだろうと見守っていると、大友さんも「なにをやろうかなー」なんて言っていた。それからは名古屋で初めて歌を歌うと言い、ギターに手をかけては「あ、初めてじゃなかった」と手を止めたり。「いのーちはーひとーつー」と加川良の「教訓Ⅰ」を歌い出したかと思えば歌の途中で「あ、そういえばねえ」などと突然話を振ってきたりする。結局「教訓Ⅰ」はそのままやめてしまいました。こういうのもライブならではでおもしろいけど、この曲は最後まで通して聴きたかったな。
不穏なギターの響きから始まった次の曲は、どうにも心をざわつかせるというか、不安な気持ちになる曲だ。なにか巨大な恐怖がゆっくりと近づいてきているようにも感じる。それが次第にメロディとリズムを帯び、少しずつ景色が変わっていく。黒い雲が晴れて光が差してくる感じだ。中国の映画のサントラ用に作った「青い凧」という曲とのことだけど、ほとんど原型は留めてないらしいです。得体の知れない恐怖を少しずつ力に変えていく。もしかしたら、そういう大友さんの今の気持ちだったのかもしれません。
阪神・淡路大震災15年特集ドラマ、『その街のこども』の劇中曲、「街の灯」。この曲は二年ほど前、初めて大友さんのライブを観た『キリイシ』という本の出版記念イベントの時にも演奏されていた曲です。思えば自分の中でも身の回りでも、この頃からいろんなことが大きく変わってきた。この曲は単なる鎮魂歌ではない。大震災から15年を経て、復興した被災地に灯った希望の光だ。でもその光の中にはドラマにも出てきたように、絶望や悲しみも籠っている。大友さんの素晴らしい演奏を聴いていたらそういうことや自分自身のこと、いろんな気持ちがごちゃまぜになって、頭に浮かんで、消えて、泣けてきた。
「街の灯」が終わると間髪入れずにギターノイズ。一瞬ビクッとしたけど、すぐに肌になじんでくる。このノイズの中にもいろんなものを見た。それでもまだ、大友さんが抱えてしまったとてつもなく大きいものの、ほんの一部でしかないのかな。

遠藤ミチロウ大友良英

ミチロウさんの弾き語りに大友さんが歌伴を付けていくスタイル。先頭を行くのはミチロウさんだけど、矢面に立つのは大友さん。矛盾しているかもしれないけど、そんなようにも見えた。それはプロジェクトFUKUSHIMA!でのお二人の立ち位置にも近いものがあるかもしれません。
曲間にはこんな会話。ミチロウさん「ギターのチューニングもまともにできなくなっちゃって」大友さん「チューニングができないのはパンクの基本でしょ?」ミチロウさん「やさしいなあ、大友さんは」大友さん「やさしいのかなあ、これは(笑)」。なんだかとてもなごむ。やさしいなあなんて言うミチロウさん本人が、とてもやさしい目をしてた。ようやっとミチロウさんのことを知り始めた人間が言うことじゃないかもしれないけど、ミチロウさんがこんなにもやさしい目をするまでにどんなことを体験してきたのだろう?もっと知りたい。少しずつでも知っていきたいです。

遠藤ミチロウ大友良英 with Eddie&竜巻太郎

先のセッションでミチロウさんのギターの弦が切れ、次の曲でも弦が切れた。それほどまでにテンションの高い演奏だったと思う。セットリストとして予定通りかどうかはわからないけど、ここでゲストのEddieさんと竜巻太郎の呼び込み。その間にミチロウさんは弦の張り替え。各人、音合わせでそれぞれの楽器の音を出す。そうこうしてる内に、待ちわびたかのように大友さんがリフを鳴らし始めた。それに呼応して竜巻太郎のスネアの号令。いつのまにかEddieさんも加わって、曲が始まる。ミチロウさんは弦を張り替えながら歌っていた。この展開、なんともスリリング!それでいて全員、すごくたのしそう。竜巻太郎のドラムにはなにかをぐいぐいと引っ張ていくような力があると思う。若さゆえの、でも若さだけではないとても魅力的な音。Eddieさんのベースは初めて観たけど、湧き上がってくるグルーヴがたまらなかった。そうなんです。このセッション、めちゃくちゃかっこいいんです!
弦の張り替えも終わり、「ワルシャワの幻想」へ。さすがにこの曲は知ってます。このあたりから観てるこちらもふつふつとテンションが上がってきて、体を動かさずにはいられなくなってきました。もう「メシ喰わせろー!」ってなもんです。ステージの方を見やると大友さん、跳ねながらギターを弾いてた。あんなにたのしそうな大友さんはなかなか見られないと思う(笑)。会場全体が高揚していくのを、ビリビリと肌で感じました。
最後はボブ・ディランのカヴァー、「天国の扉」。先のフェスティバルFUKUSHIMA!でも渋さ知らズをバックに最後に演奏された曲。その様はUSTREAMを通して観ていたのだけど、ミチロウさんの強烈なメッセージはパソコンの画面越しにも痛烈に伝わってきた。それが今、目の前で演奏されている。当日は別会場で様々な対応に追われ、なにが起きているかも知らなかったという大友さんもいっしょに…。プロジェクトFUKUSHIMA!はなにかを終わらすためのものではなく、なにかを始めるためのものだということです。ここから始まる。それはとても長い道のりになるんだと思う。ミチロウさんが「俺は、天国の扉を叩き壊す!」そう叫んだところで感極まって、また泣けてきた。それでもフェスを終え、今日の演奏を終え、これでひとまず一区切り。ひとまず、ではありますがミチロウさん大友さん、本当におつかれさまでした。
アンコールでは「仰げば尊し」のパンク・ヴァージョン。卒業しないといけないのは、一体なにからだろう?直面している問題とちゃんと向き合って、付き合っていかないといけない。たのしい演奏の中にも、そういう姿勢がはっきりと見てとれたように思います。
*ちなみにこの後にあったトークもとても内容のあるものでしたが、なんらかの形で配信などされるようなのでよければそちらで。



帰りにアンサンブルズ展のDVDを買って帰ろうと思ったけど、すでに売り切れ。でもこれでよかったんだと思う。今日という日も、一度しかない。