2010年07月21日(水)PLAYGROUNDレコ発記念ライブ@今池得三

前日にディスクユニオンから届いた当のアルバム、『PLAYGROUND』を聴いていました。ずっと待ちに待っていた山本精一の“うたもの”のアルバム、悪いはずがない。曲も、構成も、本人曰く“独り言”だというその歌詞も。聴けば聴くほどに意味や繋がりを見出したくなってくる。今までライブでしか聴けなかった名曲たちをいつでも聴けるという幸せ。でもそこにはなにともわからない、小さな違和感を覚えてしまったのでした。

明けて、『PLAYGROUND』発売日。今池得三でレコ発記念ライブ。

山本精一 & THE PLAYGROUND

「第一部」
1. 日蝕
2. 飛ぶひと
3. 水
4. PLAYGROUND
5. めざめのバラッド
6. 鼻
7. O Caroline


「第二部」
8. Days
9. 宝石の海
10. ひきこもり?
11. 時計をとめて
12. 待ち合わせ
13. 空の名前


encore
14. Candy Says


double encore
15. 名前なんかつけたくないうた
16. ふたつの木のうた


triple encore
17. 夢の半周
18.まさおの夢


開演時間を過ぎてしばらく、やっと照明が落ちる。が、ライブはなかなか始まらない。暗くなったことで開場後からずっと流れてたムーディなSEが妙に強調されて、ちょっとおかしな気分になる。このまま始まらなかったらどうしよう?そんな気分になる。始まってもないのに、すごい緊張感。
そんな張り詰めた空気の中、山本さん一人で登場。その張り詰めた空気を引き裂くような一挙手一投足に、また新たな緊張感が顔を見せる。背筋がピンと伸びる。


一曲目は「日蝕」。繊細な音色のギターと、静かな歌い出し。この曲は初めて山本さんのライブを観た二年前の得三でもやっていたはずで、アルバムで初めて聴いた時、その時のことを思い出してちょっと懐かしい気持ちになりました。ループしていくような山本さんの歌に、安堵感のようなものが生まれる。かと言ってさっきまでの緊張感が消えてしまったかと言うとそういうわけでもなく。どっちにも寄らない自分の気持ちをまるで他人のものみたいに、客観的に眺めてました。

日蝕」が終わったところで、ちょっと申し訳なさそうな面持ちで千住くん登場。山本さん、「飛ぶひとを。」と指示。千住くんのドラムは共演者の感情をそのまま受け取ってそのままアウトプットするような、それでいて人なつっこいような、柔軟な懐の広さがある。対する山本さんは気まぐれに歌い方を変えたり、汗を拭うために一瞬演奏を止めたり、思うままに演奏を続けていく。そんな山本さんの歌のドラムをつとめられるのは千住くんぐらいじゃなかろうかと、目の前の二人を見て思う。

曲を探すように何度も歌詞カードをめくっては、顔をしかめる山本さん。歌い始めたのは、「水」。この曲の歌い出しは“水には水なりの”の時と“水には水だけの”という時があります。ちなみにアルバムでは前者、この日のライブは後者。その時その時で曲順を決めるように、歌詞もその時の気分で決めてるのかな。そこにはこだわりがあるのか、それともまったくないのか、わかりません。つかめません。アルバムに欠けているのは、ここだと思った。次に何をやるのかわからない、何が起こるのかわからない、つかみどころのないのが山本さんの魅力なんだな。そういう意味で、アルバムは絶対にライブを超えることはない。いくら素で録音されたものだとしても、アルバムという録音物になることで固定されてしまうから。水のように自由な山本さんの歌を本当の意味で聴けるのは、ライブだけだと思います。そして水のように、その形がはっきりすることはないんだと思います。

「PLAYGROUND」もアルバムで初めて聴いた曲。この曲はV.A『トリビュート・トゥ・ニッポン』に収録されていた「sumera 2001」に似た雰囲気。その「sumera 2001」とはまた違った形で曲の枠組みを作っていく千住くんのドラミングが素晴らしい。と観てるこちらは思うのだけど、時折厳しい表情で千住くんの方をにらみつける山本さん。やっぱり山本さんはカタにハメられるのを一番嫌うのかな…。
「めざめのバラッド」はアルバムの中でも一番異色な曲で、そしてライブの度にもっとも表情が変化する曲でもあります。段々と捻じれていく展開は、その捻じれ具合がいつもまったく違うのです。“また目が覚めたらどこかでさよなら”という歌詞が、そのすべてを物語っている気がします。毎日はいつも違うもので、毎日はいつも奇妙なのもの。もし非日常というものがあるとしたら、それはやっぱり日常の中にしかありえない。途中の壊れたギターソロを聴きながら、そんなことを思うのでした。

「鼻」に関しては、もう何もないです。何度聴いても、この曲には何もない。なのに、聴いた後に芽生えるこの感情は一体なんだろう。この感情に名前をつけるなら、虚無だろうかとなんとなく思う。名前なんてつけたくないけど。
前半の最後はMatching Moleの「O Caroline」をカバー。美しいメロディで知られるこの曲だけど、山本さんの歌う日本語詞は歌詞に与えられた枠を踏み越えるように、つらつらと進んでいく。原曲とはまた違った、Daniel Jhonstonの歌のような壊れた美しさが素敵でした。頭に浮かんだのは、なぜか西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」でした。


後半は始めから山本さんと千住くん二人でのスタートで、曲は「Days」。「日蝕」と「PLAYGROUND」と、この「Days」の三曲がアルバムで初めて聴いた曲です。アルバムでの「Days」は後期の羅針盤とイメージが近い。『むすび』に入っていてもおかしくないような曲だと思います。今の山本さんの歌と、羅針盤の歌とは、どういう位置関係にあるんだろう。アルバムの一曲目にこの「Days」を持ってきたことも、なにか意味があるのかな。ライブで聴く「Days」も二人で演奏してるとは思えないようなバンドサウンドで、余計に羅針盤のことを考えてしまいました。羅針盤、一回でもいいからライブを観たかった。

続く「宝石の海」。山本さんの歌には時折ハッとするような、フレーズがある。「宝石の海」で言うなら“恐れでもなく驚きでもないなにかもっと大きなもの”がそうで、この曲を初めて聴いた時から、このフレーズが頭にこびりついて離れません。この日の演奏は後半のテンションがすごくて、エフェクターのツマミをぐいっといじったかと思うと、今度はおもむろにアンプの音量を上げる。そういう印象的な歌詞までも一瞬で飲み込んでしまうかのような山本さんのギターに、心底酔いしれる。それこそ、“なにかもっと大きなもの”を目前にしてるような気分でした。

次の曲はアルバムには入ってない曲。先日のshin-biの時、演奏前に「ひきこもり…」とか言っていたので、勝手に「ひきこもり」と呼んでます。静かな歌い出し、狂気じみた歌詞、途中から壊れていく展開。まるで今の山本さんを象徴するような一曲。なのに、ライブが終わった今ではなかなか曲が思い出せません。ほんと、自分の頭にメロディをメモれるようなツールが欲しい。今年中に出るという噂の、弾き語りのアルバムに入ってくれることを望みます。
淡々と歌い続けていく山本さんが次にチョイスしたのはジャックスの「時計をとめて」。山本さんの歌う「時計をとめて」はジャックスみたいな、絡みつくようなサイケ感はなく。曲の良さがじんわりと染みるような、そんな歌い方。でも途中、これはサイケだと感じる瞬間もあって、サイケとはなんぞやとぼんやり考える。たぶんサイケというのはその時、その人、その気分によって違う。サイケと思ったらそれがサイケ、そう言ってしまえば身も蓋もないけど、そんなものなのかも。ぼんやり、というのもその本質の一つかも。と、そんな風に思いました。
「待ち合わせ」。この曲の太いトーンのギターが、どうにも哀愁を感じてしまって好きだ。そしてこの曲が最近の山本さんの歌の中で一番好きだ。この曲だけは、いつも同じ気持ちで聴ける気がします。つかみどころのない山本さんの中にもゆるぎない、太い芯のようなものを感じる。強さも脆さも全部はらんだような、太い芯。

そして追い打ちをかけるように「空の名前」。オレンジ色の夕映えがこのライブと、いろんなことに終わりを告げる。後半、うわずった声で歌う山本さんの歌に感極まって、泣けた。


アンコールはVelvet Undergroundの「Candy Says」。この曲は前回、「しばらくやりません。」と言ってたような気がするけど、早速やってました。その前回はベースで参加していた須原さんにコーラスを強要していたのだけど、今回はコーラス部分も自分で歌う山本さん。よっぽどこの曲にはコーラスがないと納得いかないのかな。歌えてるのか歌えてないのかもよくわからない、つたない英語詞も相まって、ちょっと笑えてしまいました。


「良い曲がないので終わります。」とだけ残されて帰られてはいくら山本さん相手でも納得いかない。というわけで、ダブルアンコール。再度の登場は山本さん一人。あらためて歌詞カードを持ってきたところを見ると、さっきはほんとに良い曲がなかったのかな。帰る前には千住くんが自分の譜面を手渡そうとする一幕も。しかし、「名前なんてつけたくなうた」はほんとに“良い曲”。

続いて千住くんも呼び込んで「ふたつの木のうた」。羅針盤以降の山本さんの歌には常に死生観のようなものが付いて回る気がします。羅針盤の終焉=チャイナさんの死のわけで、そこにはどうしてもチャイナさんのことを連想してしまう。この曲は、特にそう。なにがどうとははっきり言えないけど、すごくチャイナさんのことを感じる曲。“ここにいるみんなはいつまでもここにあれ”という歌詞は、何度聴いても胸が押し潰されそうになる。勝手な解釈だけど、“ここにいるみんな”にはチャイナさんは含まれてないだろうから。“もつれあう”とか“ねじれあう”はDNAだったり輪廻の輪だったりがモチーフになってるのかな。いずれにせよ、「いつかそちら側へ」というような、ちょっとさびしいような、でもあったかいような。そういうなにかを感じずにはいられない曲です。


SEが流れ始めるも、しつこくアンコール。わりとすぐ山本さん登場。MCの少ないライブだったけど、ここにきてよくしゃべる山本さん。「さっき嫌がらせみたいに曲なってましたね。もうこうなったら意地でもやりたい(笑)」といかにも山本さんらしい展開。が、どうも途中でトイレに立つお客さんにご立腹の様子。「俺は二十時間は我慢できる。」とか「プロ野球やったら四時間は行けへんのやぞ。ビール五杯飲んでも行かへん。」とかめちゃくちゃ言ってました。でも「さっきの曲なんて普通行かへんやろ。モラルやろ、そこは。」というのにはすごく同意。そうでなくとも、ライブの間くらいは我慢したらいいのに。それから「トイレ行かへんのやったらやる、いいですか?」で大きな拍手。「まさおの夢をやります。」でさらに大きな拍手。とここにきて、「やっぱ、やめた。期待される人間像って嫌やねん。」と腰を折る。がっくりきたけど、やってくれたのは「夢の半周」!ひさしぶりに聴けてうれしかった。
結局その後「まさおの夢」もやってくれて、いつになくサービス精神満点のライブでした。早くまたライブ観たい。次は近江八幡の酒遊館、行こうかな。十八切符余るし。