雨の日はユーミンとカーペンターズ

たしか中一の春くらいまでアパートに住んでいた。たしか、としか言えない自分の曖昧な記憶に唖然とするけど、たしか、中一の春くらいまでだったと思う。住んでいたアパートは、これもすでにうろ覚えだけど部屋は二つ。一つは寝室用に使っていた部屋で、タンスに囲まれるようにして、家族四人が川の字で寝てたのをよく覚えている。もう一つの部屋は食卓用。食卓と言ってもそんな立派なものでもなく。冬はコタツになる足の短い、ボロいテーブルが部屋の真ん中に一つ。これが食卓。食卓の周りにはテレビと、ビデオデッキが収納されたテレビ台。ちょっとした棚。それから台所へ向かう方面に食器棚。その食器棚の裏には俺ら兄弟用に学習机が二つ。六畳くらいの小さな部屋によくもまあ、というくらい生活の機能が詰め込まれた、なんとも雑多な部屋だった。どっちの部屋も、畳の部屋だった。
と、ここまで思い出すのにすでに必死になっているのだけど、そんな遠い記憶の向こうに今でもはっきりと思い出せるのは、母親が聴いていたユーミンカーペンターズの音楽。


当時の俺はかなりのゲームっ子で、小学校から帰ったら即ゲーム、というくらいゲームにのめり込んでいた。同じくらいゲームにのめり込んでいた兄が常に隣にいたので、コントローラーの取り合いになることもザラだった。外で遊ぶのは大嫌いで、いつも家にいた。晴れの日も雨の日も、大抵家にいた。天気に関係なく、毎日家でゲームをやって過ごしていた。
アパート暮らし。ゲーム三昧の毎日。そんな閉じられた生活だったけど、なぜか家には友だちがよく集まった。友だちは外で遊ぶことも多かったんだと思う。家に友だちが集まるのは雨の日が多かった。友だちが遊びに来ると食卓用の部屋は俺ら兄弟と友だちたちに占拠され、雑多な部屋はさらに雑多になった。雨の日は、母親は隣の部屋に追いやられていた。そんな時、隣の部屋からよく聴こえてきたのがユーミンカーペンターズ。寝室用に使っていた隣の部屋にはタンス以外には特に何もなく、やることがなかったんだと思う。どこからか、いつのまにか家に持ち込まれたカセットデッキから、ユーミンカーペンターズは流されていた。どこかに母親を追いやっていた罪悪感があったのか、そのカセットデッキの古びた外観や流れてきた音楽のことは、うしろめたさと共に妙に記憶に残っている。魔女の宅急便で使われていた「ルージュの伝言」や「やさしさに包まれたなら」にはちょっとよろこんだりもしたけど、もっとも印象に残っているのは小学生でもわかる雨という単語が入った「Rainy Days And Monday」や「埠頭を渡る風」など、どこか哀愁の漂う曲だった。それらの曲はゲームの音や雨の音といっしょになっても、はっきりと耳まで届いてきた。
中一になって、今の家に引っ越した。自分の部屋ができたし、自分のテレビも買ってもらった。新しい家での生活はとにかくすべてが新しくて、古いアパートでの記憶はどんどん薄くなっていった。今では部屋の配置を思い出すのにも一苦労なほどだけど、それでも雨の日になると、ユーミンカーペンターズの曲と共にあの頃のことを思い出す。





今日は、一日雨でした。雨、と思って部屋で聴いていたのはTEASIやテニスコーツPenguin Cafe Orchestra。雨の日になるとどこか哀愁のある音楽を聴きたくなるのは、雨のせいだけじゃないと思う。